2006/06/04 16:36 Comment(0) | TrackBack(0)
今、のど風邪にかかってしまっていて、声を出す事ができない。
すぐ咳き込んでしまうので、結構辛い状態だ。
何かを伝える時に、口数を減らすために、
言葉を選んで話す必要が出てきたわけだが、
この「言葉を選ぶ」という行為がとても新鮮だった。
いや、懐かしかった、と言った方が適切かもしれない。
引っ込み思案だった子供の頃のオレは、
自分の考えが浮かんだ後、その発言によって相手がどう受け取るか、
そもそも発言するかどうか、考えてから、ボソボソしゃべっていた。
(ボソボソは今も変わらないらしいが・・・)
自分の考えは主張しないと伝わらない。
相手のペースになる前に、押さえておかなければいけない。
流れが、タイミングが・・・云々、様々な理由があって・・・だろうか、
物事を考えてから発言に移すまでのスパンがとても短くなっていた。
いや、深さから言えば「考えている」と呼べるものではない物もあるように思う。
頭で行く前。 舌のレベルで考えて発言している印象だ。
いわゆる、口先ってヤツか・・・。
言葉に言葉を重ねて、それらしい結論を導き出すのは、
慣れでやってしまうし、悪い事にやれてしまう。
社会で生きて行くためには、ある程度必要な能力だとは思うが、
シックリ来ないと感じた事実は、ちゃんと認識しておこう、と思った。
怪我の功名ってヤツだなぁ。
でも、早く治ってほしい。
寝れないし(^-^;)
2006/06/04 12:47 Comment(0) | TrackBack(0)
だいぶ前の話だけど、国家の品格(藤原正彦著 新潮社)を読んだ。
個人的に賛同できない部分も多かったんだけど、改めて気付かされた事もあって収穫は多かったように思う。
「論理で説明できることはほとんどない」
「論理に酔うな」
自分のように子供の頃からヘリクツをこねたりしていると、自分なりの定理みたいのができていて、
誰かに何かを説明する時、意見する時の拠り所にしてしまったりする。
まぁ、論理立てで物を考える事は、大切だとは思っているし、悪い事じゃない。
ただ、誰かと対峙した時、論理が正しく交差する条件ってのは限られているし、少ない。
A「○○だから△△で、だから□□じゃないか」と、いくら明快な論理があっても、
B「まぁ・・・どっちでもいいよ。ただ、めんどくせぇな」と言う事になる可能性はある。
Aにとっていくら大切な事であっても、Bの「めんどくせぇ」に勝てないワケだ。
みんなそれぞれに正しい言い分があるだよね。
高校の時に、事があってそう感じた。
めんどくせーもんは、何言われてもめんどくせーじゃん。
って、Bがオレじゃんw!!
それは置いておいたとしても、
物事が論理で片付かないって事はみんな解ってると思うんだ。
論理だけじゃ、物事は進まない、それはみんな思ってる。
でも、議論する段になると、なぜかそれを忘れがち。
特に頭が良いという人たちの方がそう。
気をつけなくちゃw。
オレ、頭良いからw。
2006/06/04 00:56 Comment(1) | TrackBack(0)
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